# 高麗神社にいってきました

昨日、鎌北湖に行ってきましたが、そこから帰る途中に高麗神社という立派そうな神社があったので寄ってみることにしました。

# そこには壮絶な歴史が

高麗神社のホームページによると👇とのことで、各地方に散らばっていた高句麗から来た人たちをこの高麗郡の地に移して高麗王若光がその長官だったとのことで、その人を祀った神社。

天智天皇5年(666)年、連合した唐と新羅は隣国の強国、高句麗の征討を開始しました。高句麗は危機的状況の中で外交使節団を大和朝廷へと派遣します。『日本書紀』には「二位玄武若光」の名が記されており、若光が使節団の一員として日本へと渡来した事が分かります。668年、建国から約700年間東アジアに強盛を誇った高句麗は滅亡し、若光は二度と故国の土を踏むことはありませんでした。 その後、大和朝廷に官人として仕える若光の名が文献に表れるのが『続日本書紀』大宝3年(703)年3月「従五位下の高麗の若光に王の姓を賜う」です。姓(かばね)とは、それぞれの家柄を定めるために大和朝廷が授与する称号で、王(こきし)の姓は外国の王族の出身者に与えられていたものでした。

この高麗神社だけじゃなく、なんとなくこの辺は雰囲気があるというか、巾着田(きんちゃくだ)っていう彼岸花の名所的なところら辺もWikipediaによると👇こんな風に言われてたりするらしい。

地元では川原田と呼ばれている。8世紀にこの付近に移り住んだ高句麗からの渡来人が、大きく湾曲した高麗川を利用してこの地を開墾して田を作り、稲作を伝えたと言われている

# 境内

敷地も広いし、お掃除されている方や売店の方など、日曜日の夕方5時半過ぎとかだけど、かなりのスタッフの人がいる感じで、由緒正しいというか立派なところなんだな、と。

お参りしつつ、奥さんはご集印してもらったりして、展示物をみたりとか。 平成の天皇皇后両陛下がお見えになっていたり、著名な人も数多く訪れていたりとか。

稲の収穫祭というお祭りがあるみたいだけど、残念ながら今年はコロナの影響で…ということみたいですが。。

# 国指定の重要文化財である高麗家住宅

代々宮司を務めてきた高麗家の旧家とのことですが、なんとも雰囲気のある感じで。

# 水天宮

軽いクライミングというか、結構急だし、滑ったりするし、足腰の弱い人にはあんまり…な感じのところですが、せっかくなので登ってみました。たまにこうやって空気の良いところに来るのはそれだけでも気分イイ。


ってな感じで、歴史の勉強になりつつ、久しぶりに厳かな感じの神社にこれたので(一応、今年本厄だったりするので…)、なんか良かったかもなぁと。

👇遠く離れた祖国に思いを馳せるとか、そういうのだったりするのかな。

高麗

この神社以外にも高麗には民俗資料館とか遺跡とかあったりするみたいなので、また改めてきてみたいかな〜

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